[章]

『イーハトーブへようこそ』
 鮮やかな緑の葉に囲まれたトップページからまずは掲示板をのぞく。今日は二人からのメッセージはない。それを確認するとチャットへ入室した。
『ハルトさんのご来園』
ルビィ『あっ ハルトもきたぁ!』
テーゼ『やぁハルト、おつかり~』
ハルト『ハロ、今日も寒いねー』
 ハルトとは何のひねりもない僕のハンドルネームだ。インターネットを通じてリアルタイムに複数の人と会話ができる、チャットという電波の井戸端会議。
 ルビィやテーゼとは半年ほど前、どこか別のチャットで偶然知り合って仲良くなった僕とおなじひきこもり者だ。といっても本人に会ったことはないのであくまでも自称なのだが、今までチャットをしてみて無職ということに間違いはなさそうだ。
 意気投合した僕らは無料レンタルサーバーとおなじく無料のチャットや掲示板を借りて自分たちだけのサイトを作り、毎晩そこに集まるようにしている。サイト名の「イーハトーブ」とは、テーゼが大好きな宮沢賢治が目指した理想郷の称呼だ。

どの検索エンジンにも登録せず、僕ら以外のアクセスがないこのサイトこそ三人の安住の地である。
 毎晩このイーハトーブで夜更けから朝まで話をして過ごす。会話の内容はもっぱらテレビのことや面白いサイトの情報、自分たちの身の上話など端から見ればどうでもいいことが僕らの時間を埋めていく。
 ひきこもりになった僕が彼らと知り合うまでの四年間、ネット友達などいなかった。それどころかおなじ環境の人と話す機会もなかったので、社会に背いたことへの自責の念や焦りをずっと独りで感じていた。しかしルビィやテーゼと出会い、各々の考えを話し合ううちに少しずつ気持ちが緩和されてきた。
 人から見ればそんなことはただお互いの傷を舐め合っているだけだ、というのかもしれない。確かにそれを証明するのはひきこもり特有の現象で、僕たちの話は「今日こんなことがあってこうだった」という発展的なものはほとんどなく、情報メディアを中心とする閉鎖的な意見交換などが多い。
 しかしそれだけで十分なのだろう。傷を舐め合えるだけで今はいいのだ。それすらなかったら傷口から精神が腐り、僕らは滅びてしまう。