[章]

 イーハトーブで父さんの話をしてから一週間も経たない頃、一本の電話によって平穏だった暮らしは急変した。
「はい駿府総合病院ですね。わかりました! はい、すぐにうかがいます」
 その日に限って僕は昼近くまでルビィとチャットをしていたために寝るのがすっかり遅くなってしまった。ようやくベッドにもぐり込んだ薄暗い部屋に母さんが電話をしながら入ってくる。今までそんなことはなかったので、何か重大なことが起きたのだと予想しながら僕はベッドから起き上がった。
「お父さんが仕事中倒れて病院へ運ばれたんだって……」
 昼間に外出するなんていつ以来だろう。寒天の下、冬陽を反射するアスファルトやビルがヤケにまぶしく感じ僕は助手席でずっと目を細めていた。生まれてはじめて太陽の下に姿を現したような錯覚に陥っている僕は、さながら季節はずれのセミのようだ。
 駿府総合病院は町のほぼ中心に位置し父さんが仕事で担当している地区もその周辺らしい。詳しいことはまだ分からないが配送中に意識がなくなってその病院に運ばれたという。家に連絡してくれた会社の人はすでに病院へ到着しているとのことだった。
「たぶん、また脳だよ」

 ぎこちなく車線変更しながら母さんは八年ほど前の脳出血のことを話していた。ただでさえ血圧が高いのに父さんはタバコは吸うし酒の量も多い。そのくせ病院から出される薬はろくに飲みさえしないのだ。そんな状況ではいつまた脳に異常が起きてもおかしくない。もちろん本人にそんな忠告を何度もしたが聞く素振りなどなかった。
 ひきこもりになってから今までの五年間、比較的穏やかな日々が続いていた。しかし今向かっている先にはそれをひっくり返すであろう出来事が待ち受けている。まだその現実を認識できない僕の視界に目指す病院が映りはじめた。
 電話で聞いていた病室の廊下には連絡してくれた総務課の和田と名乗る初老の男性が僕たちの到着を待っていた。それにしても家を出てから漠然と感じていた外への違和感がこの病院に入った途端にはっきりと容赦なく押し寄せてきた。慌ただしく動き回る病院職員、患者に付き添って歩く家族。ずっと自室で過ごしていた僕にとってここは飛びこんでくる情報があまりにも多すぎて目が眩む。
 見るからに物腰の柔らかそうな和田さんの説明によると、父さんは配達中に突然意識を失ったという。