[章]

 翌日から僕の通院生活がはじまった。
 その初日、四人部屋への引っ越しと同時にリハビリもはじまる。病室からリハビリテーション科へは僕も一緒に付き添ってその様子を見させてもらう。午前中の二時間ほど行われるリハビリ内容は脳梗塞の症状に合わせ、言葉や頭脳の訓練と運動訓練とに分けられていた。
 イスに座ってじっくり取り組む言葉の訓練では頭に浮かぶことを即座に口で発せられなかったり計算速度も同年代よりやや劣るようだが、運動訓練では少しずつ動きを取り戻してきた。中でも一番心配していた歩行は、リハビリ開始から三日目にしてなんと自立歩行ができてしまったのだ。とはいえ右足は思うほど上がらないようで、少し地を引きずってはいるもののなんとか二本の足で歩いている。
 自己中心的で入院中も迷惑ばかりかけている父さんが必死で歩く姿を見ると、この先の安心感よりもただ単純に喜びが溢れてくる。嫌っているはずのこの人に対しなんとも理不尽な感情だと思ったが、看病している今の状況では偽りだとしてもその気持ちこそが不可欠なのだと自分にいい聞かせた。

 だが一週間も経たないうちに僕にはリハビリの成果を喜ぶ余裕もないほど、ストレスと疲れがたまっていった。ずっとひきこもり状態だった人間にとっていつも視界に人が映っているだけで相当な負担だ。しかもただひと口に見舞いといっても毎日、しかも朝から晩まで病院にいるのは誰だってかなりの労力を伴うことではないだろうか。病院の看護士だってもう少し楽なシフトのはずだろう。
 ピクチャーウインドウのように病室の窓が昼間の街並みから鮮やかな夜景へと書き換えられる頃、父さんの夕食も終わってようやく一日の看病から解放される。一度でいいから「大変だろうから明日はこなくてもいいよ」といってくれることを毎日期待していたが、退院までそれを聞くことはなかった。
ルビィ[ハルト毎日お疲れさま 私には父親がいないからうまくいえないけど この間自力で歩いているお父さんの姿を見てうれしかったっていう書き込みを読んで きっとハルトは自分が思っているほど嫌っていないんだと思った お父さんだってハルトのことを大事に思っているだろうし 今の苦労も絶対つうじるハズだから がんばれっ!]
 相変わらず僕ら親子の仲を取り持つようなメッセージには父親がいない娘の寂しさが現れているようだ。