[章]

 何を見ても心が洗われるようだ。前二日の悪天候から一転したこの青空もそうだがここまで気分を軽くさせたのは昨晩交わした会話のおかげだろう。父さんが自ら語った家出の告白。もしかするとその心の内では長年重い凝りとして残留し続けていたのかもしれない。ずっとわがままで自分本意に生きてきた人間が隠していた、とても重いその傷を話してくれたことが僕には嬉しかった。
 やはり僕は父さんに影響されて生きているのだろうか。テーゼがいうようにそこに憧れがあるのかは不明だが、今こうして嬉しそうな父さんの横顔を見ることで穏やかになる気持ちが自分に存在しているのもまた事実なのだ。
 すると美ヶ原高原美術館の方から鐘の音が聞こえてきた。
「お、鳴りはじめたな。これはアモーレの鐘といって、時報として鳴らすんだよ」
 乾いた鐘の音がこの澄んだ空一面に響き渡ると、ここが日本だということを忘れさせてしまう。僕たちはしばらく鳴り続ける鐘の音をバックに美しの塔を目指して歩いていった。
 真っ青な空の下で二日分の陽光を吸収した僕たちはビーナスラインから車山や白樺湖を眺めつつ、ピラタス蓼科ロープウェイを目指した。

「紅葉シーズンど真ん中!」と地元のラジオが語る通りこのビーナスライン沿いの山々では、色とりどりの木々による自慢のファッションショーの真っ最中だ。すっかり運転に慣れた僕は父さんと一緒に声を上げその光景を楽しむ。色鮮やかな木々たちが山肌を覆い尽くす姿はまるで山そのものが発光しているようだ。一本一本の木が自然のもとで一斉に色づくとこれだけの色彩を成すものなのか。
 やってきたピラタス蓼科ロープウェイは100人乗りのゴンドラで有名らしい。確かに新穂高ロープウェイのものと比べるとその収容人数に驚くが、新穂高の二階建てゴンドラは上下で120人収容できるという。
 定員一杯まで入れたその「折り詰め」は、標高2240メートルの山頂へと登っていく。山麓付近は鮮やかな紅葉で溢れていたのにロープウェイが目指す方向には、立ち枯れた木々が縞状になっている。一見寂しげに感じるがそれまで賑々しい紅葉ばかりを目にしていたので、かえってその景色が新鮮に感じられた。
「いい眺めだな。北アルプスも見える」父さんは動きの悪い体を駆使しゴンドラからの景色を見回している。するとある一点に向いたところで僕の肩を叩いた。