[章]

唯一「済」という文字がまだ入ってないフォルダはやはり二人でいった中部山岳だった。
 そのフォルダを開いてみると他のデータとおなじように資料が詰まっているが、どれも作成された日付から僕といった旅行以前に揃えられていたものらしい。確かにあの旅行を思い出してみても、父さんが何かを調べたりする素振りを見たことがなかった。ただ旅先ではしゃぎ、楽しんでいただけのようにしか見えなかったのだ。
 そう、実際あの旅行で父さんはただ楽しんでいただけだった。それを示すものが各地の旅行内容に必ず添えられている前書きにあった。本文の原稿は見あたらないがどうやら前書きだけは書き終えているらしく、そのファイル名にはやはり「済」が入っている。

 ――紅葉が山肌を美しく染める爽秋の中部山岳。約三十年前、北アルプスをはじめて目にした私はその景観に魅了され、日本に散らばるすべての自然をこの眼に焼きつけようと決心した。その時から病気で倒れるまで、遠近あわせて延べ百五十回以上の旅行を計画することとなる。つまりマイカーに私を閉じこめるすべてのきっかけは、中部山岳旅行だったのだ。

 この十二編に及ぶ旅行記の最後に紹介するのは、その懐かしい最初の訪問地とした。壮大で貧乏な旅の出発点であるこの二泊三日の紅葉ドライブ。それを紹介するにあたって今回特別に三十年前とおなじコースを訪れてみた。
 といっても私はもうハンドルを握ることができない。そこがこの旅行の趣旨なのだが、合計三日間の運転をすべて息子に任せようというのだ。かなりわがままな頼みだったが彼は快諾してくれた。代行は妻に頼むこともできた。きっと息子の中でなぜ自分が頼まれたのか、疑問や不満があったかもしれない。三日目に帰路へ向かう車中で私がどうしてこれほどドライブに精魂を傾けたのか、少しでも分かってもらえればと願う――

 集めたかった資料は僕だった。
 確かに父さんはこの中部山岳へ何度もいっているので資料など手に余るほどあったのだ。しかし人生を変えたであろう王ヶ鼻を含む思い出の場所を書くにあたり、どうしても親子での旅にしたかった。僕に対してずっと無頓着だったはずの父さんが僕との旅行にこだわっていたというのか?