「今日ぐらい休んで、明日いけばいいのに……」
病院への道中、信号で止まった母さんがまた運転席から顔を覗かせた。もし逆の立場だったらきっと僕もおなじことをいうかもしれない。朝、洗面所の鏡に映る僕の顔はさすがにひどかった。
ここ二週間ずっと慣れない文章を書き続けた疲労が顔全体からもにじみ出ている。今の僕が見舞いにいったらどちらが病人かわかったもんじゃない。
「やっとできたんだ。この原稿を一日でも早く見せたくて休まず書いたのに、完成してから休んだんじゃ本末転倒でしょ」
父さんは相変わらず回復への兆しが見えないらしい。一日を通して寝ている時間も長く、母さんが話す内容が理解できないことも増えているという。今日原稿を持っていってもその日のうちに読んでもらえない可能性だって十分ある。それに―。
「父さん頑固だからヘタすると気に入らなくて、全部書き直しになる可能性だってあり得るし」
「それはなんともいえないね。人のすることにいちいち文句をいう人だから。もしその原稿がダメだっていわれても……」
「わかってる。そもそも頼まれてもいないことをやっているんだから、十分覚悟はできてるよ」
ビルのすき間から照らす陽の光とダラダラとざわめく町の喧騒が、今日はとくに受けつけられなかった。最近はずっと原稿のことで頭がいっぱいだったため満足な睡眠などとっていない。今は達成感と疲労で意識は定まらないが、胸の鼓動だけは自覚できるほど大きなリズムを刻んでいる。
事故から三週間ほど経ち、ひとまず容態が落ちついた父さんは脳梗塞で入院した時のように個室から四人部屋へ移されていた。案内された病室は高齢者が多いためか他の部屋よりも静かだ。ただしその静寂はどことなく儚げで悲愴感すら漂っている。父さんのベッドには窓からの日差しが枕元を照らしていた。そろそろ冬を迎える光はほどよい優しさをおびていて、父さんは穏やかに目を閉じている。
しかしこんなにのどかな状況においてもその顔からは想像以上の衰えを感じた。旅行記を書いていた頃の精気に満ちた面持ちはすっかり消えていた。今は血色の悪さもさることながら顔を包む肉も弱り、無造作に伸びた髭に胸が張り裂けそうになる。ベッドの脇には導尿カテーテルのパックが下げられているが以前のように自分で抜こうとした話は聞いていない。
「……お父さん。おはよう」