[章]

 今年は夏が長かった分、十月を過ぎると一気に肌寒くなり心配していた信州の紅葉も予定通りに色づいてくれたらしい。僕が三日分の荷物を車に詰め込んでいる間に妻と娘が母さんに声をかけていた。
「はぃ、ゆっくりいっておいで。そうだ温人、今年の運動会も年代別リレーと二人三脚でいいんだね?」
 七十才を過ぎても母さんは相変わらず趣味や地域活動に精をだし、老いている暇などないみたいだ。同居している妻ともよく気が合い、この先娘も巻き込んだ三人で徒党を組まれたら男一人ではとても太刀打ちできそうにない。
 家族三人を乗せた車はまず十分ほど走ったお寺に立ち寄る。六歳になる娘もようやくそこに誰が眠っているのかを理解しはじめたらしい。
「じぃじのとこにいくね!」
「そうだよ。お写真で見たじぃじはここに眠っているんだよ」
 ドレスのようにかわいい赤いワンピースが駐車場を駆け回っている。着飾った娘の姿とつつましやかな墓地との妙な違和感に苦笑してしまう。

「あの洋服も今だけだぞ。馬籠に着けば寒くて風邪をひくかもしれない」
「わかってる。でも旅のはじまりくらいは華やかにしてもいいでしょ」
 僕が父さんの墓前に向かうと、娘をつかまえた妻が後に続く。三人はひっそりと列に並んでいる父さんの墓に手を合わせる。これが毎年この旅行前の儀式になっていた。
「今年とうとう四刷をしたよ。これで発行部数は三万部になった。今年は読者からの手紙は五十七通、なかなか根強い人気だね」
 旅行記の原稿が完成した半年後、眠るように父さんが永眠してから今年で九年目になる。
『終わりなき路』
 それは沖縄県を除く日本全国を自分の車で巡った父さんの旅行スタイルが、余すところなく書き綴られている遺作だ。
 金をかけない旅行でのおかしな逸話だけがメインではないのだが、観光地の駐車場で警察に尋問されるなどのリアルな体験が、定番の旅行ガイドに飽きた読者を楽しませているらしい。はじめは自費出版として静岡の限られた書店にしか置かせてもらえなかった。